今回の記事は、水曜日のお昼の事になります。
この日は用事があって太宰府方面へ、その帰りにランチという事で、事前に調べて、皿うどんを頂くべく、そちらへと向かいました。
という事でやってきました、二日市温泉の通り沿いの中華のお店「福龍」へ!!
店頭です、メニューとかも掲げられていますね。
ランチタイムメニューと書いてありますね。
店内へと入り、案内されたテーブル席に着き、改めてのメニューです。
お目当ての「皿うどん(やわらか)」は700円、でも、こちらのセットメニュー見ちゃうと+150円ですから、こっち選んじゃいますよね~、って事で、「チャーハン(小)」が付く「皿うどんセット」(850円)をお願いしました。
こちら方面でランチと思って調べていて、皿うどんで調べてみるとこちらのお店がヒット!、お店自体は、二日市温泉に行く時とかいつも見かけて気にはなっていたので、これは楽しみです♪
セルフで取ってきたお冷と卓上セットです。
こちらがセルフの給水器、奥にはマンガ本やサインも見えますね。
少し待って、「皿うどんセット」がやってきました!!
こちらが「皿うどん」です!
横からもパチリ!
そして、「チャーハン(小)」です!
量的にはちょい控えめかな、横からもパチリ!
早速、「皿うどん」の麺を引っ張り出して、頂きます!
スープをしっかり吸って、部分的に軽めの焼き目も付いて、良い感じの色で、麺の食感そのものはやや柔らかめかな~、でも味付けも良い感じでなかなか美味しいです。
そして、ちょいツユダク気味かな。
具は、キャベツ、モヤシ、キクラゲ、豚肉、かまぼこがピンク色のものと白いものと二種類ですね。
続いては、「チャーハン(小)」を頂きます!
パラパラというよりしっとりモッチリ系、塩系の味付けで何だか懐かしい味わい、美味いですね~。
こちらの具は、玉子、玉ねぎ、グリーンピースにピンクのかまぼこ、このかまぼこは、皿うどんにも入ってますが、ショッキングピンクというか色が濃いめで、パッと見は紅生姜みたいにも見えたりしますね、色的には(^^;
皿うどんに入っていた白いかまぼこ、一瞬、イカか?、と思いましたが、正体はかまぼこでした(笑)
チャーハンが少なめかと思いましたが、両方を食べ終わると程よく満腹、満足のランチとなりました。
ごちそうさまでした
☆ 福 龍 ☆
【住所】 筑紫野市湯町1-9-10
【電話番号】 092-922-5702
【営業時間】 (昼)11時~14時
(夜)16時30分~21時30分
【定休日】 木曜日
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この記事へのコメント
進撃の阪堺
それと御朱印のお写真、ありがとうございました。
現在風邪をひいているので、御朱印の旅はしておりませんが、具合がましになったら再開しようと思います。
では本題に入りますが、私が長崎からの帰り際に通りかかる、温泉の香り漂う界隈のあのお店ですね。
気になってはいましたが、「天六食堂」さん優先で、素通りしてばかりです。
麺が具に埋もれて、野菜炒めと間違いそうな皿うどんも、たくあんを添えた半チャンもお見事だと思います。
それと二日市八幡宮も近いので、ご縁があれば参拝していただければと思います。
レポありがとうございました。
ところで「天六食堂」さんの「天」は天拝山、「六」は六反からきているそうですね。
山の頂上に登って7日間篭りながら、自分を陥れた者たちへの恨みではなく「世の幸せと自分の無実を訴えるために祈り続けた」というエピソードがありますが、道真公の私心のない祈りのこもった山から名付けられたお店と考えたら、なんだか感慨深いです。
(参考にしたサイト:URL貼り付けではコメントが弾かれるので、恐れ入りますが「なぜ菅原道真公は「学問の神様」になったの?亀戸天神社で話を聞き、絵馬を奉納させていただいた。」で検索お願いします)
かめ
早速コメント頂き、ありがとうございます。
鹿児島遠征は、久々の御朱印も頂けて充実の旅でした、ありがとうございます。
今、結構風邪とか流行っているみたいで、ご自愛ください。
実は「天六食堂」の横を通ってここに行きました、正直、ここも行かなきゃと後ろ髪引かれる思いではありましたね(^^;
皿うどんは確かになかなかの具だくさんで美味しかったです。
実は、この後に和菓子屋さんに行ったんですけど、その帰りに懐かしいな~(子どもの頃に母に手を引かれて歩いてました)と思いながら二日市の商店街を歩いたんですけど、二日市八幡宮の鳥居が途中で見えて、ここからも入れるんだ、と思いつつ行かないままでした。
実は、進撃の阪堺さんに感化されて、二日市八幡宮の御朱印をネットで見ていたら、必ず「厄除ぎんなん」と印が押されていたので、銀杏がキレイな時期に訪れて御朱印頂こうと決意していたので、その時は結局参らなかったですね(^^;
なるほど、「天六食堂」の名前はそれが由来だったんですね~、六反の方はその辺りの昔からの地名からと思いますが、それは感慨深いですね、それで知らず知らずのうちに進撃の阪堺さんも惹き付けられていたのかも知れないですね、天神様のお導きかな。
恥ずかしながら天拝山がそういう山だったというのも改めて知りました、小学校は太宰府市内(当時は町内)に通ってたんですけど、校歌の2番の歌い出しで「宝満 四王寺 天拝や」と山の名が3つ出てきて、当時は遠足も1・2年生が四王寺、3・4年生が天拝山、5・6年生が宝満山と登ってたんですよね、その頃登っていて、今になるまで何とも思ってなかったんですね~、改めて登ってみたくなりました。
サイトも見てみました、なるほどですね~、当初の頃の「恐ろしい祟りの神」から、少しづつ「ありがたい学問の神」へと変わったんですね~、しかし、その素晴らしい人間像は古き良き日本人そのもので、今もそれは私たちの中に脈々と受け継がれていると感じました、素晴らしい日本、守っていきたいですね。
あっ、長々と失礼しました、いつも本当にありがとうございます。