充実した一日でした、「歩かんね太宰府」で「古代官道24kmを歩く【8時間30分・約24km】」!!(前半)

今回の記事は、先週というか2つ前の日曜日の朝早くからの事になります。

「歩かんね太宰府」(←クリックでHPへ)という気軽に楽しむガイド付きまち歩きの団体というか集まりがありまして、基本的には太宰府の歴史を訪ねて、ボランティアのガイドさん付きでいろいろ歩き回るという物で、確か4年前に初参加だったか、そこから3年前にかけて、たぶん3回ぐらいは参加したことがあり、ただ昨年はコロナの影響で結果的に中止となってしまい、今年の秋からようやく再開という感じ、いろいろなコースが設けられていて、基本的には3km~6kmぐらいのそんなに長距離じゃないんですけど、なかなか歴史好き&ウォーキング好きには有意義なイベントで、そこで毎年最後は必ず、「古代官道を歩く」というコース(鴻臚館跡~大宰府政庁跡)が設けられていて、以前から参加したかったのですが、タイミングが合わず、そして今回ようやく参加という事で楽しみにしてました。

今回は「古代官道24kmを歩く【8時間30分・約24km】」というもので、鴻臚館跡展示館前に7時30分集合からの出発となってます。

古代官道とは、奈良・平安の時代に作られた幹線道路で、なんと車も無い時代に道幅10メートルの道路で、しかもほぼ直線に作られていたそうで、両サイドは幅1mぐらいの側溝が掘られていて、いわば古代のハイウェイ、ただ、ほぼ遺されてはいないので、わずかに残された跡をたどって歩くという感じで、こういうのに参加しないとなかなか難しそうですよね~、楽しみです。

まずは集合場所へと向かいます、近くのコンビニで昼用のご飯を買いつつバスに乗り、警固町バス停で降りて歩いてからの、さぁ、城内に入ります。
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集合場所の鴻臚館跡展示館が見えてきました、スタッフの方がいらっしゃったので、参加料金1000円を払って受付を済ませました。
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ちょっと早めだったのでその辺で待ちます、鴻臚館後の案内板です。
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登って見てみましたが、ここは以前は平和台球場だったんですよね~、野球観戦に行った事がありましたが、まぁ、ガラは悪かったですね~、時代も変わったのもありますが、今のドーム内での雰囲気とはずいぶん違うものでしたけど、懐かしいです。
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スマホの歩数計をチェック、この時点の歩数です。
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定員20名が全員集合したので、説明等が始まります、今回史上初めての十代の方の参加もありとの事で、女子大生2名が参加されていましたが、ほとんどは中高年の方で、私よりも人生の先輩と思われる方も結構いらっしゃいました。

歴史でウォークと言えば、「下関歴史ウォーク」の30kmに3年前と一昨年に参加していましたが、昨年はコロナの影響で中止、そして今年こそはと思っていたのですが、仕事が忙しくて参加できず、その代わりって訳でもないですけど、こちらにエントリーできて良かったです。

ただ、「下関歴史ウォーク」の方は特に30kmは、とにかく早くゴールを目指すという感じで、ゆっくり眺めてる暇も無いんですけど、短いコースはまた別ですけど、そんな訳で、まさに今回は「歴史ウォーク」、楽しみにしていました。

今回のガイド、というか、この官道の時はいつも恒例のようなんですけど、太宰府市文化財課の山村信榮さん、スタッフの方によれば凄い方という事で、めっちゃ詳しそうで、しかも気さくな感じで、楽しみです。

こちらは配って頂いた地図、3枚からなります、1枚目の鴻臚館跡から大橋辺りまでです、赤い太い線が古代官道です、水城の西門に向かうルートと東門に向かう2つのルートがありますが、今回のルートは西門コースです。
(すみません、帰ってから撮ったのでちょっと紙がくたびれてますが)
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2枚目は大橋から大野城というか水城の辺りまで。
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3枚目は水城から大宰府政庁跡まで、大宰府の条坊も重ねてありますね。
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まずは鴻臚館の説明からありました、奈良時代から平安時代頃に博多湾に来航した諸外国の使節団を迎える迎賓館兼宿泊所としての施設で、必ずここを経由して、大宰府や都へと向かわなければならなかったようです。

その他にもいろいろ興味深いお話しを聞いて、さぁ、出発です!

まず最初は来た道を逆に行く感じですね。
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まずは赤坂小学校前へ、学校の建物で見えませんが、この向こうに鴻臚館があり、そこから大宰府へと向かう古代官道が始まっていたという事です、こんな感じで、要所要所で止まって、ガイドさんが説明して頂けるので、まさに歴史ウォークです。
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さぁ、進みますよ!
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赤坂あたりを結構ジグザグに進みます。
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この通りからも途中で路地に入っていきます。
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この辺は結構細い路地を進む感じでしたね。
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説明によれば、この辺はほぼ跡が残っていなくて、江戸時代に黒田藩が道を整備したことにより、随分と変わってしまったのも大きな原因のようです。
そして、その頃、福岡城の北側は位が高い偉い人が住み、こちらのような南側は足軽等の身分の低いものが住んでいたので、区割りが細かくなっているとの事で、なるほどな~、という感じでした。

住所でというと警固の「菅原神社」に到着しました、菅原道真公の由来の神社は結構あるみたいで、また、古代官道沿いには結構、神社やお寺もあったそうですね。
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警固と言えば、福岡の地震でも話題になった「警固断層」と古代官道がほぼ同じではという説もあるそうですが、確かに、大橋辺りまではそうらしいんですけど、そこから先は違うとの事でした。

結構細い道を進むんですけど、ボランティアのスタッフの方が、車や自転車等に気を配りつつ、声掛けをずっとされている感じで、本当にありがたいですね。

さらに進みます、住所で言うと薬院に近くなってきました。
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さらに進んで、浄水通りに突き当たりました、交差点で言うと「九電体育館前」、官道十字の近くという事で、官道の十字路、南へ進むと大宰府へ、東へ行くと東門ルートへと繫がり、西へ行くと糸島・唐津方面へと向かう官道になっていたそうで、西へと向かう道は福岡市動物園の中を通っていたみたいで跡が残っているとか。
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ここから平尾駅方面へ、ここ辺りからは、結構西鉄沿線に近い所を官道が通っていたようで、その辺を進みます、こちらは高宮通りの一本西の通り、右前方に見える瓦ぶきの建物は「平尾山荘小路」と言って古い建物にオシャレな飲食店等が入っているスポット、この前の道が官道の名残りではという事で、本当に真っ直ぐな道ですね。
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この辺り、右手が山があり、左が平地という風景が続いてます、大昔もそうだったのかな~と思いを巡らせたりして。

高宮へと入ってきましたが、確かに真っ直ぐな道ですね、同じく高宮通りの一本西の道だったと思います。
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高宮駅近く、高宮通りのすぐ西を流れる小さい川、この辺りも官道に関係しているのではとの事でした。
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その川にかかっていた高宮駅近くのこの橋が、ちょっと一部見えないですけど、「磐瀬橋(いわせばし)」、元々は「磐瀬」というのは地名と思われ、日本書紀にも出てくる斉明天皇が居を一時期移された磐瀬宮が関係あるのでは、そこから「高宮」という地名に繋がっているのではというお話しでした、なかなか興味深かったです。
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この後は高宮通りへ、こちらはジョイフル野間店横の「石投げ地蔵」、江戸時代、山伏が宝満山へと向かうルートでもあったのかもとの事でした。
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この辺りは特に道の右手が高くなっていますが、古代官道自体も高宮通りよりは一段高い場所にあったのでは、というお話しでした。
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古代官道は、基本的に直線なんですけど、川がある場所ではやはり角度が変わっていたりして、必ずしも直線でない所もあったようです、それはそうですよね~、現代のような建設機械も無いでしょうし、橋を作れない所もあったでしょうからね。

だから、どこに橋をかけるかというのは重要ではあったようです、という事で、割りと大きな川、那珂川がありますが、おそらくは三宅中のあたりを官道が通って橋を通していたのでは、という事で、今の県道5号線の橋に近いですね。
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井尻に入ってきました、こちらの井尻六つ角から斜めに入った道は、大土居へと通じていて、かつては小水城があり、軍事上の裏側の守りの要所だったようですね。
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ようやく春日市に入ってきました、岡本辺りから、右前方に丘というか森が見えてきますが、そこは「須玖弥生遺跡」で、そこの山裾で瓦が出土されているそうですが、中途半端な量なので、おそらくは官道沿いの目立つ所に瓦の建物(下はハリボテ?)を建てて、外国からの使者の目を意識して見栄えを良くしていたのではとの事でした、面白いですね。
(すみません、その辺りの写真は撮ってません)

ここまでほぼ高宮通り沿いに近い所を官道が通っていたみたいですが、徳洲会病院の駐車場辺りから、陸上自衛隊の中を斜めに突っ切っているようです、その先の宝町辺りから、高宮通りの一本東側のほぼ道沿いになるようですね。

<ここから追記>

ずっと進んだ先は航空自衛隊にぶつかります、GoogleMapのストリートビュー(←クリック!)でみると、正面が航空自衛隊の敷地内で、左奥に白い建物が見える横の真正面、森のように見えるのが「先の原遺跡」(自衛隊敷地内なので入れません)があり、その奥にも少し森が続いてるらしく、その際に古代官道が続いていたのでは、との事でした。

十年以上前に航空自衛隊の中の官道跡を特別に見学させて頂いた年があったようですが、今は、近隣の物騒な国々のお陰でスクランブル発進も増えたりして、そういう影響もあるので、現在は入れる状況ではないという事です、本当に勘弁して欲しい感じですね、そういう国々は。

という事で、航空自衛隊を迂回して、再び県道31号線を歩いてからの左折、逆方向からも自衛隊内を見て、そもそもこの自衛隊は以前は米軍基地、そのさらに前は日本軍の「小倉陸軍造兵廠春日製造所」があり、春日公園側から見ると、コンクリート造りの試射壕跡等の当時の建物が一部残っていて(米軍で別用途で使用か)、GoogleMapのストリートビューでは見えないですけど、春日公園側の歩道からは見えたりして、戦時中は周辺の高校生が兵器を作っていたというような話もあったりしたらしく、今では考えられない感じですけど、その名残を感じさせる風景で、いろいろと考えされられますね。

古代官道とは外れましたが、その土地の別の時代の歴史を知るのもなかなか興味深くて、こういうイベントじゃないとなかなかそれを知る機会は無いかな~、という感じですね。

<追記・ここまで>


さらに進んで、ようやくランチ休憩、春日公園へとたどり着きました、12時半をちょっと過ぎてましたね。
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その前に途中でトイレも含めた休憩2回を取りつつなので、そこまで疲れてはいなかったかも、でも座れるのは嬉しかったですね。

長くなったので、今日の所はここまで、後半は明日のお楽しみです、しかし、書くのも結構大変でした、ただ、当日はガイドの方が言われることを情報量も多いので、覚えられないと思ったので、スマホにメモしていたので助かりました、後半も頑張ります!(笑)

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