こちらのお店は、一部、Wikiより引用しますが、戦後間もなくの頃、初代店主・弁野勇次郎さんが、関西で流行りのソース焼きそばを作ろうと思ったが、物資不足の折で中華のそば玉が手に入らず、代わりに干しうどんを湯がいてこれを焼いて出したところ大好評だった、というのが焼きうどんの始まりと言われる所です。
実は、私にとっては、弁野勇次郎さんというより、弁野先生なんですよね。
弁野先生は、焼うどんを考案して後、お店を二代目店主(たぶん親戚筋だったはず)に譲り、某高校の先生をしていました。
で、私がその某高校にて、弁野先生に数学を習っていたと言う訳でした。
いや、面白い先生でしたよ~、うちの高校はユニークな先生が揃っていましたが、それを代表する1人でしたね。
焼うどんの話しも出ていた気がしますが、その頃は今みたいに有名ではありませんでしたし、私自身、お店に行った事もなかったので、本当かな?、ぐらいの感じ聞いてました。
しかし、その先生も、私達が卒業後の間もなくのお正月に急死されてしまいました。
(今頃は、こんなに有名になっちゃって、と天国で笑っておられるかもですね)
今のお店は、二代目店主と共に働いていたその奥様が、4年前にご主人が亡くなった後も、一人で引き継いでされているお店です。
(この辺のところ、Wikiの説明では、あいだ(初代→二代目)が抜けているんですよね)
という事で、前々から行ってみたくて、今回、私の希望で候補に入れたところ、カズさんからも、ぜひ行ってみたいと賛同頂き、念願叶って行く事となった次第です。
前置きがすっかり長くなりましたが、こちらのお店の開店は12時ちょうど、近くのコインパークに車を停めて、12時過ぎにお店に到着。
店内はカウンター6席のみ、真ん中に先客1名(いたと思ったけど違ったかな!?)がいらっしゃったのですが、その奥にちょうど3席空いていたので、そちらに着席。
私とカズさんは、天まど(510円)を、ごまほーくさんは、焼うどん(460円)を注文!!
店内は、おばあちゃんが一人で頑張っています。
私達が入ってすぐ、空いている2席が埋まり、先客の席も入れ替わり、これで満席。
その後には、外に待ち客の行列ができた感じで、ちょうど良いタイミングで入れて良かったです。
店主のおばあちゃんが一人で、調理したり、お冷を出したり、コップを洗ったり、止まることなく常に動いている感じ、大変ですよね。
店内には、ソースの良い匂いが漂ってきます。
聞こえてくるのはNHKラジオ、昭和にタイムスリップした感じです。
しばらく待って、私たち3人の前に注文の品が出されました。
実は、私たちのすぐ後に入ってきたお客さん(2名)に、先に注文されちゃったのですが、おばあちゃん、ちゃんと覚えてくれていて、入ってきた順番で先に出してくれました、これにはビックリ、嬉しいですね。
やってきた、これが天まど!!
天まどとは、これもWikiから引用(一部加筆)すると、「小麦粉を水で溶いたものを薄く鉄板で焼き(広島風お好み焼きのような感じ)、その上に焼けた焼きうどんを乗せ、中心に窪みを作る。その窪みに、まず水溶き小麦粉を少し垂らしてから卵1個を落とす。全体をひっくり返し、黄身が軟らかいままの状態に少し焼いたら、皿に載せて完成」というもの。
パッと見の第一印象は、少ない!、って感じでした(^^;
麺は、最初の説明の通り干しうどん、そのせいか、うどんとしては割りと細めで、微妙に歯ごたえも感じられるかな。
結構、ソース味来ます、アバウトに切られたキャベツ、なんか素朴で良いです。
正直、あんまり麺の存在感無いんですよね、ソース味の野菜炒めの中に具として麺が入っていると言う感じかな(笑)
途中で、玉子を割ってみます。
ソース味がマイルドになって、なんだか豊かな味になる感じで、この変化は面白いですね。
やっと食べる事ができました、弁野先生が発明した焼うどん、嬉しかったです。
(本当は、おばあちゃんと、弁野先生の話しとかしてみたかったけど、今度、暇そうな時間帯を狙って、行ってみようかな

おばあちゃんが体の続く限り、頑張られると思いますが、焼うどん発祥のお店、興味を持たれた方は、1日でも早く行かれる事をお勧めします。
おばあちゃん、お体に気をつけて、いつまでも頑張って下さいね!
量的には、お昼に単独で食べるには少ない感じでしたが、連食にはピッタリ、という事で、まだ3人ともいけます、さぁ、次のお店へ!!(笑)
ごちそうさまでした

☆ だるま堂 ☆
【住所】 北九州市小倉北区魚町1-4-17 鳥町食道街
【電話番号】 093-531-6401
【営業時間】 12時~18時
【定休日】 木曜日
この記事へのコメント
ごまほーく
本当に食べれて良かったですね!!
先生も、かめさんが来た~って喜んでるでしょう。
かめ
早速コメント頂き、ありがとうございます。
おっ、雑誌の切れ端に書いてあったんですね、それは嬉しいな~。
(実はWikiでも、少し前までは、二代目店主が考案した感じでしか説明されていなかったんですよね)
先生、喜んでくれたかな、学生の時は、数学は苦手だったけど(^^;
カズ
いや歴史が食べれてよかったです。
焼うどんの量がわからなくて、圭順のスープを残しただけにもっと飲んでおけばよかったです(^^)
かめ
コメント頂き、ありがとうございます。
本当に、歴史を味わった、という感じでしたね。
やっぱり、歴史は、量少なめじゃないといけないんでしょうね(笑)
さーしゃ
なんだかほっこり、ステキなお話ですね。
嘗ての恩師が焼きうどんの発明者!ってスゴイ!!
でもほんと、写真を見る限りではほぼ焼きそばって感じに見えちゃいますね。
>ソース味の野菜炒めの中に具として麺が入っている
それもまた、斬新と言うことで(笑)。
半熟卵が良い感じですね。
この辺の火加減、難しそう!
弁野先生のようにユーモア溢れる方が数学の先生だったら、私の数学の成績ももう少し良かったかも。。。
また遊びに来ますっ
かめ
コメント頂き、ありがとうございます。
本当に自慢の先生という感じですね。
さすが、さーしゃさん、半熟玉子の火加減、確かに絶妙でした、熟練の技なんでしょうね。
あっ、ユーモア溢れる弁野先生に習いましたが、数学の成績は悪かったです
じんぱち
私も7月に、「俺コレ!」の、みおせるさんと福氏さんに
ブログ上で教えて頂き、行ってきました。
平日の夕方に行ったのですが、お店に入って出るまで私一人でした。
見た目の派手さなどは一切ない、素朴な焼きうどんでしたが、
それが他のお店には真似できない良さだなぁ、
と思いながらいただききました。
できるだけ、長く続いてほしいお店ですよね。
かめ
コメント頂き、ありがとうございます。
そうでしたよね、そちらのプログでコメントされていましたよね。
私もやっと行けました(笑)
本当に、歴史を味わうお店という感じで、おばあちゃんには、いつまでもずっと頑張って欲しいものですね。
ヨシミヤ
かめ
コメント頂き、ありがとうございます。
先生をご存じだった方からコメント頂けて嬉しいです。
というか、たぶん、ヨシミヤさんが1年先輩かと思います。
私の記憶では、餅を喉に詰まらせてお亡くなりになられたと、1月に聞いた気がするので、てっきりお正月と思っていましたが、ひょっとしたらその前だったんでしょうね(^^;
でも、面白い先生でしたよね、懐かしいです。
toolbox
某高校で40数年前に授業を受けてました。
焼うどんの話もしておられましたが、印象に残っているのは『麻雀を伝えたのは私』と言う話を覚えています。真偽のほどは確かでは無いですが(^^;)
ここ最近、だるま堂には足を運んでいませんが、この記事をみて食べに行こうかなと思いました。
やっぱり注文するのは『天まど』ですね。
かめ
嬉しいコメントを頂き、ありがとうございます、たぶんほほ同世代ですかね~?
弁野先生、懐かしいですね~、麻雀の話しは残念ながら覚えてませんが、いろいろなお話しはされてましたね~、他にも「下敷きを使うやつにロクな奴はいない」とか「ビーター」とか(笑)、他にも田中謙先生とか柳井先生等々、名物先生がたくさんいましたよね~。
ご存知かも知れないですけど、「だるま堂」は本記事に出ていた店主の方が数年前に亡くなられて、「小倉焼うどん」のPR活動等を行われていた「小倉焼うどん研究所」がお店を引き継がれて一昨年にリニューアルオープンされています。
私もチャンスがあればまた行ってみたいと思っています、頼むのはやっぱり「天まど」ですね!!